幸せな思い出と絵
「えっ…」
絵梨佳は顔を上げて、固まった。
今まで頭の中を駆け巡っていた思考回路が今の盛岡の言葉によって全て停止された。
頭が卒練のときに伴奏をしていたときよりも、何も考えられないぐらい真っ白になっていた。
言った張本人はというと、頬が少し赤くなっているような気がした。
絵梨佳の耳からは先程まで聞こえていた先生の声や生徒の声などが一切聞こえなかった。
―盛岡があたしのことを好きと言った…。
静まり返ってから少し経ち、やっと思考回路がゆっくりと動き始めた。
それと同時に顔がとても熱くなったような気がした。
熱さはこの間の朝会に感じた熱さよりももっと熱くて、このまま何処かへ逃げ出したいという気持ちが込み上げてきた。
だけど、絵梨佳が動く前に告白した盛岡の方が先に動いた。
「…わりぃ、俺…どうかしているな…」
色紙、描いてくれてありがとうと、言いながら机の上にある色紙を取って席をたった盛岡は自分の席へと行き、鞄の中に入れると教室を出て行った。
一人教室に残された絵梨佳はポカーンとながら盛岡が出て行ったドアをしばらく見つめていた。
耳から聞こえてくるのは盛岡の足音がだんだん遠くなっていく音と心臓が速く鼓動する音だけだった。
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階段を下りているとき、聞こえるのは自分の足音だけで他の音は聞こえたとしても空耳のように思えた。
目に映る景色さえ、普段と変わらないはずなのに少し違うように見えてしまう。
絵梨佳に告白してしまった洋平は少し罪悪感を抱いていた。
彼女は恋というものがどんなのかよく知らず、気になる人がいるかどうかもわからない子。
そんな彼女に洋平は告白というおいうちのようなものをかけてしまった。
多分、今頃彼女は教室で意識が何処かへ飛んでいるだろう。
彼女の様子を想像してみた洋平は、今までした溜息の中でもっとも深い溜息をついた。
―…俺は…なんであんなことを言ったんだ?
今の自分が彼女に告白した自分に尋ねる。
付き合っているか聞いて、好きな奴を聞いて、変だと思う俺を彼女が別に変じゃないよと、言ってくれた。
あのときの自分にとって絵里佳が言ったその言葉はとても嬉しかったのだろう。
その言葉が告白という扉の前に立っていた俺を強く後押ししてくれたのだろう。
あるいは開けたくなかった扉を、本人の意思を聞かず、勝手に開けてしまった魔法の鍵となってくれたのだろう。
どっちにしろ、その言葉が告白のきっかけとなったのにはかわりがない。
彼女は今、何を考えているのだろうか。
急に告白してしまった俺を嫌ってしまったのだろうか。
洋平はこういうふうに話す前から絵里佳のことが好きだった。
3年の4月、洋平は今度の試合について顧問の先生へ聞きに行った。
顧問の先生から試合についてのプリントを貰うと、洋平は急いで体育館に戻った。
その途中、渡り廊下のところで絵里佳を見つけた。
絵梨佳は一人で中庭の花壇に腰をおろして近くにある桜の木をじっと見上げていた。
手にはスケッチブックと筆箱が置かれていたから多分、美術部で出された課題の絵を描いているのだろう。
桜の木を見上げるその目は真剣で、もし、ここで洋平が絵梨佳に近付いても気付かないだろう。
桜の木を見ていて何か思いついたのか筆箱から鉛筆を取り出して、スケッチブックに描き始めた。
時々、桜の木を見てはまたスケッチブックへと顔を向けて描いていた。
そんなの美術部ではありえる光景なのに、洋平は何故か気になって黙って絵梨佳を見ていた。
しばらくすると、絵が出来たのか彼女は鉛筆を置いて腕を伸ばしていた。
そしたら、強い風が吹いてきて描いていた絵がスケッチブックから切り離され飛ばされた。
絵梨佳は驚いて慌てて立ち上がって、飛んで行った絵を追いかけた。
風の悪戯なのか、その絵は洋平の方へと飛んできて、洋平は飛んできた絵を掴んだ。
掴んだ絵を見てみると、桜の木が下描きなのに本物のように綺麗に描かれていた。
絵を見ていると、この絵を描いた張本人である絵梨佳が駆け寄って来た。
洋平が絵を見ているのを見て、絵梨佳はどうすればいいのか困っていた。
『あ、あの…』
『絵、うまいな』
そう言いながら絵梨佳に飛んできた絵を渡した。
一瞬驚いた顔をした絵梨佳は絵を受け取ると、頬がだんだんピンク色になっていたような気がした。
『あ、ありがとう…』
その瞬間だった。
平井絵梨佳という女子のことが気になりだして、好意を持つようになったのも。
一目惚れというやつなんだろう。
その時、絵梨佳がした笑顔は今でも覚えている。
とても嬉しそうで、絵梨佳の後ろにある桜の木とうまくマッチしていた。
これを写真や絵にして表してみたら、みんなすごいなと言ってくれるだろう。
絵梨佳は一礼して、筆箱とスケッチブックを持って何処かへ走って行った。
それ以来、絵里佳とは同じ班になったり、行事で一緒に行動することはおろか、話す機会すらなかった。
だけど、洋平は楽しそうにしている絵梨佳を見ているだけでも充分だった。
告白してみようかと考えた時もあるが、いつもすぐにやめようと思ってしまう。
もし、気持ちを打ち明けてしまったら、絵梨佳に嫌われてしまうかもしれないという嫌な考えがあるからだ。
例え、世界中の人が洋平を嫌っても構わない。
絵梨佳にだけは嫌われたくなかった。
だから、ずっとずっとこの気持ちを洋平は封印していた。
「くそっ…!」
1階まで下りた洋平は壁を拳で叩いた。
辺りに先生方や他の生徒、来賓の方がいなくかったからよかった。
明日からどうすればいいのか洋平は考えながら下駄箱へと歩いて行った。
+++
盛岡に告白された絵梨佳はというと、盛岡が教室を出て行ってからポカーンとしていた。
―盛岡があたしのことが好き…だって…。
そう思うと、一段と顔が熱くなるような気がした。
これ以上熱くなったら倒れてしまうのではないかと思ってしまうぐらい顔が熱い。
―あたし、どうすればいいのかな…。
この気持ちが恋ならば、告白してくれた盛岡に返事をしたい。
でも、これが勘違いだったらどうしよう。
恋愛系の話は歩深から大体は聞いている絵梨佳だが、ある人といるといつもと調子がおかしくなる、ということしか知らない。
一応、絵梨佳はそれにあてはまっている。
だけど、ずっと前に恋心だと思っていた気持ちが勘違いで別れたカップルがいると聞いたことがあった。
今の気持ちが勘違いで、そのまま返事をしてしまったら盛岡は傷ついてしまう。
それだけは嫌だった。
どうすればわからなくて困ったときは誰かに相談するのが一番とよく言われる。
だけど、もし相談した相手の人がこのことを広めてしまうのではないか。
それを考えると不安になってしまうけど、この問題は絵梨佳だけでは解決出来そうな問題ではない。
鞄の中からこっそり学校に持ってきている携帯電話を取り出して、絵梨佳が一番信頼している子の電話番号を探した。
その子の番号を見つけると発信ボタンを押して、携帯電話を耳に近づけた。
何回かコールした後に声が聞こえてきた。
「電話ありがとう。こちら恋愛相談室です」
To be continued