サクラサク







「き、気まずい」


前を歩く人に気付かれないように咲は今の気持ちを口にした。
櫻花の屋敷を出てから欅が放った言葉は、行くぞ、だけだった。
その後、欅は咲のことを気にすることなく無言で前を歩いていた。
誰かと旅をするなら愉しく旅をしたいと思う咲だが、欅から感じる気配は沈黙を望んでいるかのように重かった。
このままこの状態が続くなんて、あまりにも悲しかった。

―悪い方向へ思考はいけない!頑張れ!咲!

咲は勇気を出して、小走りをして欅の隣に着いた。
しかし、欅は咲を横目でも見ることはなく、歩いていた。


「あの、欅さんは普段何をなされているんですか?」
「……」


何も言わず、欅は道なりに進んでいく。
無視されることが初めての出来事だった咲は、矢が刺さったのかのように胸が痛かった。
頭の中で欅に何か悪い事をしたのかと、咲は考え始めた。


「着いたぞ」


欅の声で顔を上げた咲は言葉をなくした。
そこは暖かい風が吹いていた。
優しく撫でるような心地よい風。
辺り一面には春が咲きどころの花達が彩り豊かに広がっていた。
花の良い香り。
少し吸っただけで、胸が高鳴った。
春の訪れは何度も感じたことがあるが、これほど気持ちの良い空気は吸ったことが咲はない。
しかし、この香りはどこか嗅いだことがある懐かしい匂いでもあった。
花畑の中心には、赤い鳥居と大きな社があった。
欅が社に向かって一直線に歩いていく。
咲は植えてある花を踏まないように気を付けながら欅の後を追った。
花畑の中を歩いている咲は花に集まる虫達の存在に気付いた。
蝶や蜂はもちろん、いろいろな虫達が花の蜜を吸ったり、葉っぱを食べたりしていた。
その光景がなんだか微笑ましくて、咲の顔は緩んだ。
軽やかな気分で歩いていたら、赤い鳥居の前まで辿り着いた。
赤い鳥居には春風神宮と書かれていた。
欅が一礼してから鳥居の中に入るのを見て、咲も倣って一礼してから鳥居の中に足を踏み入れた。


「どなたでしょうか?」


鳥居の中に入ったと同時に風が揺れて、咲の耳へと伝わった。
顔を上げると、いつの間にか社の縁側に朱色と紫色の袴を着た薄茶色の長髪の女性が立っていた。
背筋を伸ばし、袴を見事に着こなしていた。
咲と目が合った女性は、口に手を当てて目を丸くしていた。


「あなたは…いえ…そんなことないですね…」


すみません人違いでした、と言って女性は苦笑しながら軽く会釈した。
誰と咲を見間違えたのかわからないが、咲は一応会釈し返した。
欅は社の階段の下まで行き、片膝を地面につけて女性に頭を下げた。
慌てて咲もそれを倣った。


「佐保姫様、春の勾玉を受け取りに参りました」
「そうですか、よろしくお願いします」


佐保姫と呼ばれた女性は咲に向かって桃色の春の勾玉を差し出した。
春の勾玉の中には桜と思われる花びらが埋め込まれていた。


「咲」
「は、はい!」


咲があたふたしながら立ち上がって手を出すと、佐保姫は咲の手にそっと春の勾玉を乗せた。
春の勾玉から微かに温かみを感じた。
他から貰った熱ではなく、まるで勾玉が生きているかのように内側から熱が発していた。
持っていると、咲は春の勾玉が自分の身体の一部になったような錯覚を覚えた。
佐保姫は我が子を見る母親の顔で咲を見つめていた。


「咲と、おっしゃるのですね」
「は、はい」
「春風はいつもあなたと共にいます。あなたなら、桜の封印を解くことが出来るでしょう」
「はい。ありがとうございます」


身体を90度曲げて咲は佐保姫に頭を下げ、欅と共に春風神宮を後にした。
帰り際に振り返ると、佐保姫は少し悲しげな表情をしていた。
咲は笑顔で大きく手を振った。
それに気付いた佐保姫は微笑んで小さく手を振った。
嬉しくなった咲は佐保姫が見えなくなるまで、歩きながら手を振り続けた。




+++




帰り道も行きと同様に沈黙が続いた。
沈黙の重さに咲は思わず小さく溜息を吐いた。
春風神宮から欅は相変わらず無表情で何も言わない。
本当に愛想がない人だと咲は思った。
懐にしまった春の勾玉が咲を励ますかのように優しい温かさだった。
しかし、続く沈黙に耐えられなくなった咲は懲りずに欅に話し掛けた。


「あとは春の勾玉を櫻花さんに渡すだけですね」


咲が声を掛けると、欅は立ち止まった。
どうしたのかと咲が前に出ようとすると、欅の腕に阻止された。


「俺の後ろにいろ」
「えっ?」
「敵だ」


同時に茂みを掻き分ける音がした。
欅の陰から覗いてみると、茂みの前には3匹の灰色の狼がいた。


「おお…かみ…?」
「春の勾玉を狙う奴らの手下だ」


咲の身体が震えた。
山に囲まれた村でずっと生活していた咲だが、狼は書物でしか見たことがなかった。
欅は咲の様子を横目で見て、狼に向かって刀を構えた。


「か、可愛い!」
「…はぁ?」


咲の発言に欅は構えた刀を下ろした。


「だって、あんな柔らかい毛っていいじゃないですか!」


狼のことを指差しながら咲の目は宝石のように輝いていた。
てっきり怖がっていると思っていた欅は気を取り直して、刀を構えた。


「油断するな、奴らは春の勾玉を狙っている」


欅がそう言うと狼の顔は化けの皮を剥がしたかのように鋭い顔になり、鋭い牙を見せた。
それを見た欅は近くにいる狼に向かって刀を振った。
短い悲鳴をあげて狼は倒れた。
狼の身体に刻まれた生傷が痛々しかった。
欅は次に近い狼へと刀を向ける。
狼達は一歩後ろに退けた。
咲は狼と欅の間に割って入り、狼を庇うように咲は欅と向かい合った。


「やめて!可哀想!」
「やらなければ私達がやられる」
「狼達を止める方法はないの?」
「あいつらに操られている。それをどうにかすれば止められる」
「どうにか、すればいいんだね」


咲は欅に背を向け、狼を見下ろした。
新たに現れた人を発見した狼達はさらに威嚇していた。
その目に咲は身の危険を感じたが、悲しい感情も感じ取った。
ゆっくりと息を吸って、咲は瞼を閉じて身体の力を抜いた。
佐保姫の言葉が咲の頭の中で再現される。
『春風はいつもあなたと共にいます』
小さな風が吹いた。
風は咲の方へと向かってくる。
自分の周りに風が集まっているような不思議な感覚を咲は肌で感じた。
風が咲に寄り添って、咲の頬を優しく撫でていた。
それは人の指に頬を触れられているような感覚だった。
誰かが傍にいて咲を優しく撫でているような感覚を咲は噛みしめた。
そして、咲は頭に浮かんだ言葉を口にした。


「春風」


咲が呟くと、ほんのり甘く優しい風が吹いた。
その風は春風神宮で感じた風と似ていた。
そして、何故かわからないが、傍で佐保姫が笑っているような気がした。
威嚇していた狼達が突然おとなしくなり、可愛らしく鳴いていた。
傷付いて倒れていた狼は傷が塞がって、起き上がっていた。


「これは…」


欅は目の前で何が起こっているかわからなかった。
さっきまで今にも襲い掛かってきそうだった狼が、風が吹いただけで様子が変わったからだ。
おまけに狼達は咲の足元に来て、身体を擦ったり、甘えたりしていた。
まるで前から仲が良かったのかのような光景だった。
咲は嬉しそうに狼達の頭を撫でた。


「これで問題な…いよ…ね?」


振り返りながら咲の身体は後ろへと倒れた。
欅はすぐに傍へ行き、倒れる咲の背中を受け止めた。
どうした、と欅が訊ねても咲は反応がなかった。
代わりに咲の小さな寝息が聞こえた。
気を失ったようだ。
それがわかっだけでた欅はほっとした。
突然咲が倒れ、周囲の狼達は心配そうに鳴いたり、咲の手を舐めたりしていた。
咲を主人と認めたのか、狼達は咲が倒れたことに戸惑っていた。
欅は改めて咲が使った春風の効果に関心しながら、咲を抱えて森を後にすることにした。


「咲希…様…?」


木の陰からその様子を見ていた妖精がそう呟いた。





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