世界一の実
















 

鉄の錆びた匂い。


少し埃臭い匂い。


普段あまり感じない匂いを鼻から感じる。


鉄同士がぶつかったような高い音。


人の足音。



話し声と笑い声。


聞きなれない音と知らない声が周りから聞こえる。





―…ここはどこ?




詩緒はゆっくりと目を開けた。


まず始めに自分の足と固そうな地面が見えた。



冷たい地面の感触がじんわりと感じる。


顔を上げると、そこは知らない場所だった。


詩緒が今いるところは薄暗い、どこかの建物のようだ。


辺りには古びた機械やタンクなどが置いてあり、今は使われていない工場と詩緒は予想した。


工場の中には北洋の制服を着た知らない男子生徒達が何人も立っていた。


立ち上がろうとしたが、手を後ろで縛られていて身動きがとれなかった。





「気ぃ付いたか?」





詩緒が起きたことに気付いた一人が近付いてきた。


その人は前に詩緒に声を掛けたあの男子生徒だった。





「縄を解いて下さい」


「それは無理な注文だな」




不気味な笑みを浮かべながら男子生徒は答える。


詩緒の体が少し震えた。


負けないようにと、詩緒は男子生徒を睨む。




「あたしをどうする気ですか?」


「狼を捕まえるための餌だ」


「狼?」





この人は何を言い出すんだのか、詩緒はわからなかった。


狼の餌にするなら、山の中に放り投げた方がいいじゃないか、と鈍い詩緒は思った。




「きみと仲が良い狼のことだ」


「まさか…藤宮くん!?」


「当ったりー」




楽しそうに男子生徒は笑う。


周りにいる他の男子生徒達も同じように笑う。


耳を塞ぎたくなった。



海菜や唯子が警告していた意味が今頃になってやっとわかったような気がした。





「…でも、あたしを捕まえても藤宮くんは来ないですよ」


「それはどーかな?」


「狼が来たみたッスよ」





皆が一斉に静まった。


耳を澄ましてみると、遠くから誰かがこちらへと走ってくる音がした。


工場の入り口を見ると、毎日詩緒が話し掛けていた人が立っていた。





―どうして…。





その人に声を掛けたくても、言葉が喉で詰って出なかった。


いつもはたくさん言葉を発しているというのに。


男子生徒は立ち上がって、入口にいる人物に獲物を見つけたような目を向ける。





「待ってたぜ、藤宮」


「…亜厂を…放せ…」


「そうはいかねーな。こいつは大事な人質なんだからな」


「要求はなんだ」


「そこに立て。何をされてもじっと耐えろ。こんな機会、滅多にないからな。いつもの“恨み”晴らさしてもらうぜ」





男子生徒の言葉に詩緒はゾッとした。


恨みを晴らすと言ったら、絶対に良いことではない。


藤宮は何も言わず、おとなしく工場の中へと入って来る。


工場の中にいる男子生徒達が藤宮の周りを囲っていく。


この後、藤宮の身に起きることを考えた詩緒は死にたい気持ちでいっぱいだった。


大切な人が目の前で傷付くなんて見たくもないし、考えたくもなかった。




「逃げて!藤宮くん!!」





喉が潰れてしまうんじゃないかっていうぐらいに詩緒は叫ぶ。


だが、藤宮は決して逃げようとはしなかった。


やれっ、と男子生徒の合図が掛かった。


藤宮を囲っていた男子生徒達は一斉に藤宮に襲い掛かる。


無防備な藤宮の体にたくさんの鉄拳や足が次々とぶつかる。







集団リンチが始まった。






藤宮の体がサンドバックみたいに簡単に揺れる。


見たくない詩緒は顔を背ける。


けれども、耳からは藤宮が殴られている音と男子生徒達の喜びの声が聞こえる。



実際に見なくても、頭の中でリンチの光景が広がる。


傷付く藤宮。


それを楽しむ男子生徒達。


きっと、男子生徒達の表情は、いきいきとしている


男子生徒達から見れば、まるで楽しい部活をしているかのような気分なんだろう。


どうしてこんなのが楽しいのか詩緒には理解出来ないことだった。


耳を塞ぎたくても、手が縛られていて塞げない。


地面に何かが倒れる音がした。


ハッとして、詩緒は顔を上げてしまった。


そこには、男子生徒達の足元で倒れる藤宮の姿があった。


一人の男子生徒が藤宮の服を掴み持ち上げると、他の男子生徒達が藤宮の顔や腹に鉄拳を食い込ませる。


藤宮の顔は傷付き、制服も汚れ、口からは血が流れていた。


見ているだけで、殴られていないように自分が殴られているような気分だった。


詩緒の視界が揺らいだ。




―やめて、やめて!藤宮くんを傷つけないで!





心の中でいくら叫んでも、男子生徒達には聞こえない。


声にして出したところで、縛られた奴に何が出来る、とただバカにされるだけだ。


どうしてこんなにも無力なのだろう。


ここにいる男子生徒達を全員倒せるぐらいの力があればと、ありえもしない考えが詩緒の中で浮かぶ。


浮かんだとしても、それは想像の中のこと。


考えだけで、実行しなければ現実は変わらない。




「誰か…藤宮くんを…助けて…」




掠れた声で詩緒は祈る。


祈れば誰かが来るとは思っていなかった。


でも、今の詩緒には祈る他に出来る事がなかった。


藤宮を助けられるなら誰でもいいから、一刻も早く彼を苦しみから解放してもらいたい。






「…誰か…助けて…!」





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