きっかけは夕暮れだった




翌日、美代はいつものように夕暮れに屋上へ行った。
いつもの特等席にはちゃんと夕妃の姿があった。
もう太陽の見送りを始めているらしい。
美代は夕妃の隣に座り、今日の学校の出来事を話した。
授業中に他の子の携帯が鳴って、先生に携帯を没収されたら、先生が知らない人へと勝手にメールを送った話をすると、2人の間で笑い声が耐えなかった。
2人が笑い合っている間、空はゆっくりと色を変えていった。
今日の夕暮れは、雲が多くて太陽が見えにくかった。

「今日は雲が多いね」
「太陽が見えずらい」
「雲!そこどきなさい!」


夕妃と美代が雲に向かって野次を飛ばしていると、扉が開く音がした。
扉から出てきた人物は樹希だった。


「樹希、おっそーい!」
「すみません、急な用事が入ってしまいました」


走ってきたらしく、樹希は息を切らしていた。
そして、身軽にいつもの特等席まで上がってきた。
樹希が加わり、いつものようにアスファルトに座って、3人は夕暮れを見つめた。


「夕妃さん」
「何?」
「暁陽太さんをご存知ですか?」
「あかつき…ようた…」


樹希が突然出した名前を夕妃は復唱した。
聞いたことがある名前だと思い、夕妃は自分の記憶を巡った。
しかし、夕妃にはその名前に思い当たる人物がいなかった。
美代は樹希がなんでそんな話をするのかわからないと樹希に表情で訴えていた。


「…わからない。その人がどうかしたの?」
「その方は3年前に彼女と一緒にあそこの海へ行こうとしたそうです」


樹希は屋上から見える海を指差した。
そこはここらでも海水浴場として使われている場所だった。


「しかし、海岸の前の道路を渡っていたところへ、突然車が突っ込んできて亡くなったそうです。暁陽太と一緒にいた彼女も事故に巻き込まれて重傷負い、病院に搬送されたそうです。その少女は」
「やめて!」
「夕妃?」


突然叫んだ夕妃は両耳を手で塞いで、樹希の話を聞かないようにした。
夕妃がどうして叫んだのかわからない美代は、夕妃の肩にそっと手を触れた。
樹希は夕妃の様子を見て、苦笑した。


「怖がるのも無理はありません。夕妃さんは今、自分の過去を思い出しているのですから」
「過去を?」
「暁陽太さんの彼女の名前は朝日夕妃さん」
「それって」
「そう。今ここにいる夕妃さんが暁陽太さんの彼女、朝日夕妃さんです」


美代は驚いた。
夕妃に彼氏がいて、その彼が3年前に亡くなっていたことを美代は知らなかった。
美代が驚いている間も、夕妃は両耳を手で覆い、辛そうな表情を浮かべていた。


「そして…」
「ねぇ、夕妃が苦しんでるからもうその話やめよ!」
「それで話が済むなら俺だって話しません」


美代が怒鳴ると、樹希は真剣な顔をして美代を見た。
真剣な顔をする樹希を見たことがない美代は樹希の威圧に少し負けた。


「…何かあるの?」
「夕妃さん、落ち着いてよく聞いて下さい」


夕妃は手を耳から離してゆっくり頷いた。
それを見た樹希はありがとうございます、と言いながら微笑した。
樹希の表情はすぐに真剣な顔となり、夕妃をじっと見つめた。


「夕妃さんは……もう生きている人ではないのです」


樹希の言葉に2人は耳を疑った。
夕妃が“生きている人”ではないと言ったからだ。


「何を言うの!?夕妃は生きているよ!こうしてちゃんと触れられるじゃない!」


頭に血が上った美代は夕妃の手をしっかりと握りしめて、夕妃を抱き締めた。
抱き締めると、夕妃から人の温かい温度が伝わってくるのを美代はしっかりと感じた。
夕妃本人は放心していて、頭が真っ白になっていた。
樹希は美代の反論に黙って頷いた。


「そう。そこに関して俺も不思議でした。しかし、本人が死んだと自覚してなければ話が別です。夕妃さんはわかっていないのです。自分がもう死んでしまっていることを」
「嘘…」
「本当です。これが夕妃さんの写真が掲載された当日の新聞記事です」


樹希は鞄の中から一冊のファイルを取り出した。
ファイルを開いてみると、当時の自己の記録が記された新聞記事が入っていた。
その中には被害者の少年少女の写真があり、少女の写真は夕妃にそっくりだった。


「夕妃だ…」


夕妃は黙って自分が写っている写真と被害者の少年を見つめた。
写真を見ながら、記憶の片隅でずっと眠っていたことがゆっくりと形となってきた。
あの日はとても暑い日だった。
天気もいいから海水浴に行こうと誘われて、夕妃はその子と一緒に海へ行こうとした。
信号が赤から青になり、お先に、と暁陽太は笑いながら横断歩道を渡った。
夕妃はずるい!と言い返しながら暁陽太の後を追うとしたときに気付いた。
赤信号なのに大型のトラックが暁陽太に向かって一直線に向かってきたことを。
夕妃は暁陽太を助けようと、暁陽太の名前を呼びながら暁陽太の元へ急いだ。
暁陽太は立ち止まり、横を見たときにはトラックはすぐ傍まで迫っていた。
それからの記憶は何もなかった。
その事故のことを思い出した夕妃は、大粒の涙を流した。


「よう…た…陽太…!」
「夕妃!?」


突然、夕妃が泣き出して暁陽太の名前を呼ぶため、美代は少しパニックになった。
夕妃の様子を見て、樹希は夕妃が過去を思い出したことを理解した。


「思い出しましたか?過去を」
「うん…陽太と一緒に…海へ行こうとした…雲が一つもない日だった。信号が青になって渡っていたら…車が…」
「夕妃、もういいよ」
「あたし…あたし…!」
「もういいの!終わった事なんだから!」


叫びながら美代は夕妃を強く抱き締めた。
美代も夕妃のと同様に大粒の涙を流していた。
パニック状態になっていた夕妃は徐々に落ち着いてきて、美代を見た。
夕妃が落ち着くと、美代は夕妃から離れて向き合った。


「…美代…」
「あたし、夕妃のことを知れてよかった。いつもあたしの話ばっかで、夕妃のこと、ほとんど知らなかった。こうやって、夕妃のこと、知ることができて嬉しいよ」
「美代…」
「夕妃さん」
「樹希……ありがとう。大切なことを思い出せたよ」


夕妃は涙をぬぐって、美代の腕を振りほどいて立ち上がった。
美代は夕妃の名前を言いながら不思議そうに夕妃を見上げた。


「あたし、行かなきゃ。ここはあたしのいるべき場所じゃない」
「夕妃!?」
「ごめんね、美代。でも、あたしはもう生きていないんだからここにいてはいけない」
「そしたら誰が太陽を見送るの!」
「大丈夫。本当は私がしなくてもたくさんの人が見ていてくれる。『夕焼けだと見てくれる人は世界中にいる。だから、太陽はみんなに愛されて幸せ者なんだ』昔、陽太がそう言っていたもの」
「あたしは嫌だよ!大切な人がいなくなるなんて!」

駄々っ子のように美代は首を左右に振った。
夕妃は苦笑して、駄々を捏ねる美代の頭を優しく撫でた。


「美代、私がいなくてもあなたのことを大好きな人、いるでしょ?」
「いないよ!そんな人!」
「美代の幼馴染さん、英助くんって言ったっけ?」


英助という名前を聞いて、美代は驚いた顔をして夕妃を見上げた。


「…どうして、英助のことを?」
「一昨日、美代が来なかった日があったでしょ?そのとき、彼が来たの」
「えぇ!?聞いてないよ!」
「だって、秘密って言われたんだもん」
「俺もそう言われました」

夕妃と樹希は面白そうにニコニコと笑っていた。
樹希も英助に会ったらしく、今度は美代がパニック状態になった。


「そのとき、彼に聞いたんだ。美代のことどう思っているかって、そしたら彼」
「夕妃さん、それは彼が直接美代さんに伝えることですよ」


樹希が止めると、夕妃はそうだったね、と言って笑った。
2人の会話を聞いて、英助が夕妃に何て言ったのか想像がついた美代は顔を赤くした。


「ね。美代のこと大好きな人いるでしょ」


夕妃が美代と目線を合わせて言うと、美代は頷いた。
樹希はあーあ言っちゃった、と言いながら苦笑していた。


「だから大丈夫。それに私はいつも美代のことを見守っているから」
「夕妃…」
「迎えが来たみたいですよ」


太陽の方が見ながら樹希が言った。
樹希がそう言うと、夕妃は苦笑した。


「迎えなんて来ないよ」
『夕妃』
「えっ?」

夕妃は後ろを振り返った。





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