サクラサク
その頃、祠の階段に草茅姫は腰を下ろしていた。
何ヶ月ぶりに人と話したから、少し喉の乾きを感じた。
膝の上に草薙の剣を置き、草茅姫は鞘に納められた剣を抜いた。
表に出た刃には草茅姫の顔が映った。
無表情だった。
あの頃はよく笑っていたというのにある時を境にしてずっとこの表情だった。
他の神や精霊に変わったと驚かれた。
きっと、蕾も草茅姫の変化に驚いただろう。
考え直せば、蕾には申し訳ないことをしたと草茅姫はここにはいない人物のことを考え始めた。
蕾が封印されていたことは草茅姫も知っていることだった。
だが、それを否定して追い返さなければならない訳が草茅姫にはあった。
草茅姫は刃に映る自分の無表情な顔を見つめていた。
「咲希…」
草茅姫は今亡き人の名前を呟いた。
もし、咲希が今の草茅姫の顔を見たら、何があったの?と心配するだろう。
咲希と瓜二つの顔を持つ咲と出会った瞬間、草茅姫の心は激しく掻き乱された。
遠い昔の思い出で嫌でも思い出された。
楽しかったあの頃。
あの時間がずっと続けばいいのにと草茅姫はいつも思っていた。
思い出が浮かんでくる度に草茅姫の心は抉られていった。
もういない人物のことを思っても、その人が戻ってこないと知りながら。
草を掻き分ける音がした。
草茅姫が顔を上げると、鳥居の下には咲希が立っていた。
1000年前と同じ格好をして、あのときのように微笑んでいた。
どうして、そこに咲希が立っているのか草茅姫にはわからなかった。
驚いて立ち上がった草茅姫はその正体を理解した。
鳥居の下に立っているのは“咲”だと。
髪の長さや服装は違うというのに咲を咲希と見間違えてしまう自分が悔しかった。
「草茅姫様」
「なんだ?草薙の剣は渡さぬ」
草茅姫は草薙の剣を抱えて咲を警戒した。
だが、咲は静かに首を横に振って静かに笑った。
その笑みも昔の咲希のようだった。
「違います。お話をしようと思ってきました」
「はぁ?」
「お、は、な、し。それぐらいならいいですよね?」
咲は草茅姫の隣まで歩み寄り、腰を下ろした。
咲が隣に座ると、草茅姫は一歩身体を引いた。
「まさかそれで口車に乗せ、草薙の剣を!」
「しませんよ。それは大事な物なのですよね?」
「……」
咲が微笑すると、草茅姫は少し警戒を解き、並んで座った。
口調まで似ていて、草茅姫の調子は狂うばかりだった。
「草茅姫様はいつも一人でここにいらっしゃるのですか?」
「ああ。そうだ」
「寂しくないのですか?」
「山の生物達がいる。寂しくなどない」
「そうですか。でも、どうして悲しげな顔をしているのですか?」
草茅姫は意表を突かれたような顔を咲に見せた。
冷たい目を持つ人だ、と草茅姫は山の生物達にそう言われていた。
だが、咲には悲しげな目に見えるらしい。
咲は足元にいる2匹の狼に顔を向けた。
狼は耳を立てて、犬のように尻尾を振っていた。
咲が手を伸ばすと、狼は吠えたり警戒したりせず、素直に受け入れていた。
随分信頼し合っている事に草茅姫は感心した。
「この子達も言ってました。悲しそうだって。どうしてそんな顔をしているのですか?」
「それは…」
草茅姫は口を紡いだ。
この娘に自分の本音を言ってもよいのだろうか。
まだ会って間もないというのに草茅姫は咲に心を開こうとしていた。
それは咲希と初めて会ったときのようだった。
あのときも、草茅姫はすぐに咲希に心を開いた。
咲は咲希に似ているだけではなく、咲希の能力までも受け継いだ咲希の生まれ変わりように草茅姫には見えた。
「逃げろ!咲!」
欅の声がしたと思ったら、草むらから鬼が現れた。
社の階段に座っていた2人と2匹は鬼の姿を認めると、即座に立ち上がった。
2匹の狼は鬼に対して唸り声を上げた。
「鬼!?」
「草茅姫様はここにいて下さい!」
咲は狼と共に短刀を片手に境内にいる鬼に駆け寄った。
鬼の腕が咲へと伸びる。
それを華麗に避けて、咲は鬼の胸に短刀を刺した。
鬼は呻き声を上げて、黒い霧となり宙に消えていった。
鬼に立ち向かう咲の勇ましい姿は、草茅姫が知っている咲希の姿だった。
ここまで姿が重なると、草茅姫の頭では、咲は咲希の生まれ変わりではないかと錯覚を起こしていた。
そんなことはありえないと言うのに。
消えた鬼の後ろから今度は狼達が出てきた。
咲の足元にいる2匹の狼が前にしていた表情と同じ表情だった。
操られていると気付いた咲は意識を集中して、自分の周りに風を集める。
咲の周りに集まる風に草茅姫は覚えがあった。
「春風」
風が放たれると、狼達は威嚇を止め、咲と一緒にいる2匹の狼と頬擦りし始めた。
その様子を見た咲はほっと一安心をした。
「その力…!」
咲が振り返ると、そこには驚いた表情をした草茅姫がいた。
きっと、珍しい“春風”という技を使うから驚いているのだろうと咲は思った。
しかし、帰ってきた言葉は咲が予想していたものとは異なった。
「お主、そうなんだな」
「えっ?」
咲が聞き返すと、草茅姫の片目からは涙が流れていた。
何があったのかわからない咲はあたふたとした。
「ど、どうしたのですか!?」
「私は…もう嫌だ。桜のために命を落とす者を見るのは!」
「命を?」
聞いたことのない話に咲は首を傾げた。
咲の様子を見た草茅姫は草薙の剣を強く抱き締めた。
「今の核がなくなればお主が核となるのだろ?」
「な、なんの話!?きゃあ!」
話の最中に鬼が金棒を振ってきて、その金棒が咲の短刀の刃に当たった。
咲は金棒の勢いによって、後ろにある茂みへと吹っ飛ばされた。
「咲!」
「いたた、草茅姫様!危ない!」
咲を吹っ飛ばした鬼が草茅姫に襲い掛かってきていた。
鬼は草茅姫よりも1.5倍くらい大きい図体だった。
1000年前にも鬼を見たというのに草茅姫は圧倒されて動けなかった。
草茅姫が身を固めると、さっきまで咲の足元にいた狼達が、鬼の肩や腕、足に噛み付いた。
「お、お主達」
その光景に草茅姫は大いに驚いた。
さっきまで敵だった狼達も共に戦っていたからだ。
春風を1000年前にも見たことがある草茅姫だが、当時は助けたもの達が共に戦うなどなかった。
咲だから、できる技なのか。
草茅姫はそう考えた。
鬼が怯むと、後ろから咲が鬼の胸に向かって刃先を入れた。
大声で叫びながら鬼は消えていった。
消えていった鬼を見届けた咲は草茅姫の元へと駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ」
「よかった」
咲は凄く安心したらしく、一息吐くとすぐに笑顔になった。
足元にはすでに狼達が集まっていて、それに気付いた咲は1匹1匹の頭を優しく撫でた。
その光景は誰もが見ても昔から仲がいいんだと思えるものだった。
「平気か?」
咲の後ろに欅と蕾がいた。
鬼と戦ったためか、欅の服の裾に草や葉がついて、少し汚れていた。
蕾は咲に抱きつき、怪我は?何もなかった?と仕切りに訊ねた。
心配する蕾に咲は笑って答えた。
「私は大丈夫。蕾ちゃんと欅さんは?」
「あたしは平気」
「問題ない」
2人の無事を確認して、咲は良かったと穏やかな表情になった。
そのとき、草茅姫は気付いた。
咲の表情は咲希と似ているが、咲希とは違う優しさと純粋さがあると草茅姫はわかった。
こんな純粋の子に警戒したり、疑ったりする自分がなんだか子供ように草茅姫は思えた。
「咲」
草茅姫が名前を呼ぶと咲は草茅姫を見上げて、何?と聞いてきた。
咲の表情を見て、自然と草茅姫の心が落ち着いたとは言うまでもない。
「お主、桜の力の源が何か知っているか?」
「えっ?確か、咲希って人ですよね?」
「そうだ。咲希は人間だが、神々だけが使える春風を使うことができる娘であった。春風はある血筋の人間でもごく限られた者達だけが使える神の技である。つまり、桜の力の源は春風が使うことができる人間である」
「それって、私も桜の力の源になることができるってことですか?」
草茅姫は頷いて続けた。
「源となったものは、永遠に桜の木の元にいなければならない。人として死ぬことができず、ずっと桜の木と共にいるのだ。もし、咲希が取り出されたら、新たなる核としてお主がなるだろう」
初めて聞く話に咲は耳を疑った。
誰もそんな事実を咲に語らなかった。
後ろで欅の表情が曇ったなんて咲は知らない。
「そのとき、この草薙の剣を使って儀式を行うのだ。私はもうこの剣を人の体に貫かせたくないのだ…」
草茅姫は泣いている子を宥めるかのように草薙の剣を撫でた。
初めて聞く話に咲は言葉がでなかった。
「もしかして咲希様、あたしがその儀式を止めようとしないように封印を…」
「恐らくな。儀式を行うとき、蕾に会ったらよろしく伝えるように言ってたからな」
「咲希様…」
蕾は小さな身体を一段と小さくさせていた。
自分が何も知らなかったために封印され、主人の最後を見届けることが出来なかったのが辛いのだろう。
咲も同じ体験をしたことがあったから今の蕾の気持ちはわかった。
「混乱しているようだから、芽吹き村へ行こう。櫻花に話したいこともあるしな」
草茅姫の提案に頷くだけで、誰も声を出して返事をしなかった。
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