なにもかも覆い尽くす灰色雲。
もうじき泣こうとしている。
今のあたしみたいに。
Disharmony(不調和)
校舎の窓に勢いよく、大粒の雨粒がたたきつけられている。
朝は曇りだったというのにお昼過ぎてから次第に天気が荒くなってきたのだ。
外はどしゃぶりで、道路は水浸し状態になっていた。
窓を閉め切っているというのに、外の凄まじさは教室の中でも音で十分にわかる。
それと同時に風の遠吠え。
まるで、風が怒って暴れて、激しさを増しているようだった。
その様子を窓側の席で、松室美津江はぼんやりと観察していた。
ここは、バトミントン部のミーティングが終わって、部員がいなくなった教室。
ミーティングが終わったから、他の部員は部活がないからさっさと帰ろうと、足早に教室を出て行った。
顧問の先生も、仕事があるからと、早々に職員室へと戻って行った。
美津江は一人、窓の外を眺めていた。
部活の友達が一緒に帰ろうと、誘ってくれたが適当な理由を言って断った。
外は暗いのに教室はやけに明るく感じた。
同じ時間帯なのに晴れた日よりも、雨が降っている今は夜のように暗かった。
教室のドアが開く音がした。
誰かが教室に入ってきたようだ。
窓には、教室の様子が映されていて、美津江には教室に入っていた人物が嫌でもわかった。
同じバトミントン部で、同級生の坂梨嘉昭である。
手ぶらだということは、荷物を取りにきたのだろう。
早く行ってくれないかな、と思いながら美津江はそのままのポーズを維持する。
窓に映る坂梨は美津江の席の隣の席の横を通って、美津江の前の席に座った。
美津江は目だけを動かして、傍にいる坂梨を見上げた。
坂梨は窓に顔を向けて、美津江と同じように窓の外を眺めていた。
―綺麗な顔立ち。
高鳴る心臓の音を感じながら美津江は坂梨に少し見惚れていた。
美津江は目を元の位置に戻して、外を見る。
「すごい雨だな」
「そうね」
2言で終わる受け答え。
空からは、一向に止む様子のない雫達が滝のように落ちている。
外では、傘を差した人達が吹き付ける風に飛ばされないように踏ん張りながら歩いている。
「傘、持ってきた?」
「うん。そっちは?」
「忘れた」
「入れていこうか?」
「じゃあ、途中までよろしく」
「いいよ」
坂梨が鞄を持って立つと、美津江も机に掛けた鞄を取った。
手を自分の胸に当てると、大きくなる振動が美津江の手まで伝わってきた。
外に出ると、風が少し弱まっていた。
教室から見た外は、風が強くて傘を差すことが大変だと困っていたが、運が良い。
傘が折れなくて済むと内心で喜びながら美津江は、傘を開いた。
ラッキーだね、と言いながら、坂梨が開いた傘の中に入ってくる。
坂梨に異変を気付かれないように美津江は普段と変わらない様子を振る舞う。
一歩校舎の屋根から出ると、差している傘に向かって大量の雫が落ちてきた。
凄い大きな音で、耳がおかしくなってしまいそうだった。
足元では、水が跳ねると音と共にローファーの中に水が少しずつ浸み込んでくる。
大粒の雨が大量に降ってくるから、外側のブレザーやスカートが雨で湿っていた。
風もあるから、強い風が吹く度に傘の柄が右へ左へと揺れる。
「いてっ」
強風に寄って揺らいだ傘の柄が、坂梨の頭に当たった。
「あ、ごめん。…大丈夫?」
「平気。俺が持つ。俺の方が身長高いんだから」
坂梨は美津江から傘の取っ手を奪って笑う。
常に少し遠くで見る笑顔が、今日はすぐ近くで見ることができた。
美津江は恥ずかしくなって、顔を前に正す。
―いつもの自分、いつもの自分。
お呪いを掛けながら、美津江は力が入ってしまう体をリラックスさせる。
正門を通る生徒は美津江と坂梨だけで、他の生徒は見当たらなかった。
学校の近くにあるバス停に着くと、すぐにバスが着た。
美津江と坂梨は後ろの方の席に座った。
畳んだ傘からは水が流れ、床に小さな水溜りを作った。
校舎からそんなに歩いていないが、バスに乗った2人の制服や鞄は結構濡れていた。
風邪を引きたくない美津江は、鞄からタオルを取り出して、濡れた手、足、スカートと鞄を拭いた。
乾いたタオルは温かく、拭いただけで寒気が少しなくなったような気がした。
「悪い。次タオル借りていいか?」
ある程度、濡れたところを拭いた美津江に坂梨が頼んだ。
見てみると、坂梨の制服は、美津江以上に濡れていた。
気付かなかったが、傘は美津江寄りに差されていたらしい。
「ご、ごめん。気付かなくて」
美津江はタオルを差し出すと、坂梨は笑顔で礼を言った。
濡れた手などを拭く坂梨を見て、美津江は罪悪感を抱いた。
借り物とはいえ、美津江が濡れないように気遣ってくれた坂梨を美津江は尊敬した。
だから、こんなに気持ちが熱くなってしまうのかもしれないと美津絵は納得出来た。
「次は落合、落合でございます」
最寄のバス停名を聞いた美津江は、すぐに近くのボタンへと手を伸ばす。
だけど、美津江がボタンを押す前にボタンのライトが点灯した。
隣に座っている坂梨が美津江よりも先に押したのだ。
「あ、りがとう」
「どういたしまして」
笑顔を近くで見てしまって、美津江の胸の鼓動が高鳴りを増した。
急に血の循環が速くなったから、美津江は少々パニック状態になってしまった。
美津江は鞄を担いで、バスカードを右手に持ち、置いていた折りたたみ傘を左手に持つ。
忘れ物はないかと確認しているとき、バスが落合に到着した。
「またね、坂梨くん」
「あっ!タオル明日洗って返すから」
「か、返さなくていいから」
手を横に振りながら美津江は小走りでバスの先頭に行き、バスを降りた。
美津江が降りると、バスは扉を閉じて次のバス停へと出発した。
遠ざかっていくバスを見て、美津江の鼓動はようやく落ち着きを取り戻した。
翌日。
昨日とは違って、青々とした空。
しかし、天気予報によると、夕方からまた雨が降るそうだ。
学校に着くと、美津江は廊下で偶然坂梨に出会った。
軽く挨拶を交わしたら、坂梨は持っている袋を美津江に差し出した。
袋の中身は昨日坂梨に貸したタオルだと美津絵はすぐにわかった。
「松室さん、ありがとう」
「うん」
袋を受けとるとき、坂梨の指先が美津江の手に触れた。
男の子の手だけあって、美津江よりも太く、しっかりとしていた。
そして、何よりも温かかった。
一瞬だけ、美津江の人差し指が大きな親指と人差し指に掴まれた。
本当に一瞬だったから、錯覚だったのかもしれないし、妄想かもしれない。
坂梨はまたあとで、と言い残して自分の教室へと入って行った。
友達に話し掛けられるまで、美津江は廊下の端に突っ立ったままだった。
美津江はドキドキしていた。
昨日の帰り道といい、今日の朝といい、坂梨に近付けたからだ。
こんなに近付けるなんて、夢のようなことだった。
逆にこんなに近付いてしまったことが怖くも思えた。
美津江は頭の中で、こうありたいという未来を描く。
一緒に登校して、一緒に帰宅する美津江と坂梨の姿が浮かぶ。
考えるだけで、美津江の顔が緩んだ。
廊下の角を曲ろうとしたとき、美津江は足を止めて、慌てて元来た道を戻った。
そこには坂梨と、バトミントン部の後輩である小田内弓枝が立っていた。
どうして、この組み合わせがこんなところにいるのかは、弓枝の言葉ですぐに理解した。
「坂梨先輩、私、坂梨先輩のことが好きなんです!」
顔を真っ赤にした弓枝が坂梨に告白した。
ここからでは、告白を受けた坂梨がどういう表情をしているのか見えない。
辛うじて見える、坂梨の口元が動こうとしていた。
美津江はその場から逃げ去った。
聞きたくない。
これから告げられる坂梨の返事なんて美津江は聞きたくなかった。
弓枝が坂梨に恋心を抱いているのは噂でも聞いていた。
弓枝は部活内でも、人気がある女子で、男子からの評価が高い。
それに比べて、美津江は女と見られても月並みの評価である。
坂梨は弓枝の告白を受け入れたのだろう、と想像するだけで美津江は胸が苦しかった。
美津江はいつか坂梨に告白したかった。
だが、告白して、坂梨に振られることが怖くて美津江には出来なかった。
美津江を嫌う坂梨を美津江は見たくなかったし、聞きたくなかった。
弓枝はライバルだというのに尊敬してしまう。
成功か失敗の2択しかない賭けに買って出たのだから。
賭けをしてみようとしない美津江は、逃げているだけかもしれない。
だけど、美津江には坂梨に告白する勇気なんて持っていなかった。
考え事をしていたら、脇から出てきた人とぶつかってしまった。
軽く後ろによろめいて、謝りながら顔を上げると、見たことがある人物が立っていた。
「ちょうどよかった。松室さん、ちょっといいかな?」
坂梨の友達である、飴村幸生である。
これから部活なのか、バスケ部のユニフォーム姿を着ていた。
部活はいいのかな、なんて思いながら美津江は頷いた。
「松室さん、俺、キミのことが好きだ。付き合ってくれないか?」
唐突過ぎて、美津江の頭は今起こっていることについていけなかった。
飴村に告白されるなんて、美津江は正直困った。
今、美津江の中では坂梨と弓枝のことで精一杯だというのに新しい悩みがやってきたからだ。
飴村はバスケ部の中でも、強い選手である。
美津江が知っている中で飴村はとても良い人と印象付いている。
いっその事、坂梨のことを諦めて、飴村に乗り換えようかと美津江は考えた。
もう届かない恋心を抱いていたって仕方ないのだから。
1つの恋をいつまでも引きずっているのはよくないと聞くし。
美津江は飴村と向き合う。
目が合うと、顔を真っ赤にしたまま飴村は背筋を伸ばした。
そんなに緊張しなくてもいいのに。
無意識に美津江は微笑んだ。
「…いいよ」
「本当!?ありがとう!」
飴村はよっしゃー!と大きな声で叫んだ。
遠くの方にいる生徒が、飴村の声に驚いていた。
大袈裟な人である、と美津江の頭の中では飴村の情報が更新された。
同時に飴村のことを呼ぶ声が聞こえた。
また、後でな!と美津江に手を振りながら、飴村は慌てて走って行った。
飴村が見えなくなると、美津江は一息吐いた。
1人になった美津江の脳裏に坂梨の顔が浮かぶ。
美津江は頭を左右に振って、これから始まる部活のことだけを考えることにした。
翌日、坂梨と弓枝が一緒に歩くところを美津江は目撃した。
やっぱり、坂梨はOKしたんだ。
寄り添って歩く2人の後ろを見るなんて、美津江には苦痛でしかなかった。
胸に大きな切り傷を作ってしまったかのように胸がズキズキした。
あの人の笑顔が弓枝のものとなった今、美津江はただ足を引くしかない。
もっともっと笑顔を見せてほしかった。
いろいろな話をしてみたかった。
でも、もうそれは夢でしかない。
それは美津江が一番わかっていることだった。
飴村の告白を受け入れてしまった美津江には、坂梨を好きになったり告白したりしてはいけない。
―さようなら、坂梨くん。
美津江は一昨日と同じ教室の同じ席に座っていた。
一昨日はただ、外を眺めているだけだったが、今日は違う。
今日は恋人となった飴村を待つためだった。
体育館は前半にバトミントン部が使用して、後半にバスケ部が使用するから、飴村が終わるのを美津江は待っているのだ。
告白されたなんて、美津江はまだ信じられなかった。
失恋したばかりの美津江が、気持ちを切り替えて飴村を好きになれるか不安である。
でも、飴村の魅力を早くも見つけてしまった美津江はすぐに好きになれそうと確信があった。
ドアが開く音がした。
誰かが入ってきた。
音がした方を向くと、心臓が飛び出しそうな気分になった。
入ってきたのは坂梨だった。
傍には弓枝の姿がなく、坂梨一人だけだった。
何故ここに坂梨が来たのか、美津江にはわからなかった。
今、美津江がいるこの教室は、美津江のクラスが使用している教室で、坂梨のクラスの教室ではない。
教室を間違えたのだろうかと思ったが、坂梨がそんなドジを踏むような人ではない。
美津江は慌てて窓と向き直った。
早く坂梨が教室から出て行ってくれることを祈った。
しかし、坂梨は一昨日のように美津江の前の先に座った。
窓に背を向けて、美津江とは顔を合せなかった。
「幸生と付き合いだしたんだってな」
「うん」
振ってほしくない話題をされて、美津江の胸がざわついた。
坂梨は知っててやっているのか、単に素で話しているのか、美津江にはわからなかった。
「あいつ、いい奴だから、よろしく頼む」
「そっちも、弓枝ちゃんを困らせちゃダメだよ」
「知ってたのか?」
「一緒に歩いているところを見たから…」
「そっか」
顔を動かさず目だけを動かして、美津江は坂梨を見る。
坂梨は笑っていた。
弓枝と付き合ったことが幸福だというような顔をしながら。
苦しい。
早く何処かへ行ってくれないかと、美津江は窓の外を見る。
「…なぁ、松室。幸せになれよな」
「突然、何っ…」
意味がわからなかった。
理解しがたいことだった。
突然幸せになれよと坂梨に言われて、振り向いたら、こうなった。
頬に添えられた大きな手。
目の前にいるのは坂梨の顔。
なんでこうなっているのか、美津江にはわからなかった。
唇に感じる軟らかいもの。
温かかった。
初めてのことだった。
それは一瞬だったかもしれない。
長い時間だったかもしれない。
離れるとき、温かい息を感じた。
温かい熱源が離れていく。
「じゃあな!」
坂梨は走って教室を飛び出した。
残された美津江は放心状態になった。
自分の唇を指で軽く触れた。
まだ温かい。
そして、空いている片手で頬触ると、熱があるんじゃないかっていうぐらい頬は熱くなっていた。
「…なんで…こんなこと…したの…?」
突然のことすぎて、涙すら出なかった。
でも、調和しつつあった心が見事に掻き乱されて、重く、ねっとりとしていた。
苦しい苦しい
泣きたくなるぐらい苦しい
でも、どんなに泣きたくても涙が出てこない
悲しい悲しいよ
もう、何がなんだかわからない
こんな気持ち、持たなければいいのに
どうしてなの
悲しい思いが込み上げてくる。
どうして、弓枝ちゃんと付き合ったの。
どうして、あたしにこんなことを…。
どうして。
どうして
ド ウ シ テ…
fin
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きゃーきゃー
…すみませんでした。
前半の美津江がかわいくてかわいくて仕方ないんです わら
恋する女の子は可愛いから大好きです
照れる男の子も可愛いんですけど
でも、最後…やっぱり悲しい
もう、バカー!って、嘉昭を殴ってやりたいです
何でキスしたの!?
↑あんたが書いたんでしょ
もう、弓枝という可愛い彼女さんがいるというのに、浮気ですか!
松室 美津江(まつむろ みつえ)…
坂梨 嘉昭(さかなし よしあき)…
小田内 弓枝(おだうち ゆみえ)…
飴村 幸生(あめむら ゆきお)…嘉昭の友達。美津江のことが好き。